河内宙夢 創作メモ

シンガーソングライター

多分なにかをしなきゃいけなくて、だけど何をしたらいいのかよくわからなくて、ここ最近はずっと宅録をしている。去年作った「小さな部屋」というアルバムも同じ動機でしかも同じ季節に1か月くらいで作った気がする。

今回も動機は、成長していないけれど、内容は前回と比べて進歩していると感じている。

今度のアルバムは、もうすこしちゃんと作れるかな。

2週間ほど前、友達不在の友達の家で、なんとなくクラシックの教育テレビを見ていた。そこでは、チャイコフスキーのバラードについて特集していて、チャイコフスキーのバラードをスタジオで日本人の女性が生演奏していた。

夏の昼、クーラーもつけず、パンいちで座りながら見ていた僕はなぜか泣いた。クラシックの素養などまったくないが、その時チャイコフスキーの悲しみと葛藤がピアノの音に変わって、僕の心に流れ込んでくるのを感じた。そのとき僕の人生はまたくにゃっと曲がった気がした。

ああ、音楽ってすごいなあ。今度チャイコフスキーのCD買ってみようと思った。

僕も僕の音楽で誰かの人生を少しだけでも、くにゃっと曲げることができたらいいと思っている。

7月15日

また夏が来た。お昼には盛りのついた日差しが地球を照らして、夕方には放射を終えた太陽の余熱が街を包みなんだかだらしのない雰囲気を帯びさせている。

都会の人はサングラスをして、夏を楽しんでいる。信号待ちの女はレンズにしっかりと夏を閉じ込めていた。僕は僕で派手なシャツを着て、喫茶店に逃げ込むことが楽しみなっている。

新聞を開けば、ヒアリが近くにいるらしいと港近くの街を怖がらせている。

夏と猛毒についてちょっと考える。夏は毒を助長するのだろうか。でも毒が無い世の中はつまらない。というのは勿論比喩で、本物のヒアリはいらない。僕はヒアリになれるか。ていうか本当にヒアリになりたいのか。

夏は自分の生まれた季節だけれど、べつにそんなに好きではない。だけど一番最初に作ったのは夏の歌だった。3年前、夏に彼女に振られて歌を作った。

フランスが好きでパスタが好きでホラー映画が嫌いで夏が嫌いな娘だった。

セックスも嫌いだと言っていたが本当はセックスが好きだった。(と思う)

最近サイモン・フィンのセカンドアルバムを中古屋で奇跡的に発見して、そればっかり身体に流し込んでいる。深いリバーブのかかったギターとヴァイオリンは明らかに夏向きではないけど、決してエモーショナルじゃない曲の数々を聴いていると、もしかしたらこのアルバムが制作されたのは夏だったのではないかとも思う。

あと最近見て面白かったのは、石原吉郎の『望郷の海』と寺田寅彦の随筆集と一色まことのマンガです。

 

7月ライブ

・7月6日(木)

下北沢アーティスト
オカワリコ KUMiKO 河内宙夢 佐々木祐紀

open19:00 / 2,000yen(1ドリンク込み)

・7月21日(金)

高円寺ウーハ
 開場18:30 開演19:00
河内宙夢
じぱんぐ今中
コウチシュウ
浜砂成美
2000円+ドリンク(500円)

7月27日(木)

下北沢アーティスト

河内宙夢 Lusica 徳永優介 矢田祐介

open19:00 / 2,000yen(1ドリンク込み)

6月23日

最近24歳になった。24年前に始まった人生。色々あった様な気もするし、なんにもなかったような気がする。

この人生に意味はあるのか。というありきたりな思いや安いセンチメントがのっそりやって来たので、下北沢の道端に捨てた。それか宇宙にでも放り出して、永遠に漂わせていよう。

誕生日ライブブッキングしてくれた下北沢アーティストさん、来てくれた皆さん。ありがとうございました。肝心の歌は、すこしよれぎみだったけど、すごく気持ちよく歌うことができた。ここから始めたい。と思いました。

最近、大学時代よく遊びに付き合っていた先輩から連絡が来て、一緒に呑んで以来、よく会うようになった。

転職中で暇になったから、多分暇であろうぼくに会おうと思ったらしい。そのY先輩は、仕事が忙しく、ストレスで精神的に問題が生じてしまって、医者に大学時代の青春を思い出すよう勧められたらしい。それでまだ学生気分の奴といったらコウチか。となった。

なので、Y氏の青春を取り戻すため、夜更け過ぎにかつて遊んだ場所に赴き思い出を話しまくった。昔住んでたとことか。なんかそれは今僕がやりたいことに似ているなと思った。

ライブのあと、誰かに会いたくなった自分は、巣鴨に居る先輩に連絡をして、そのままギターを持って先輩の家に泊まった。そんでそのままいっしょにゲームをして、酒飲んで、翌日神保町で二郎食って汗かいて。次の日の昼にはニンニク臭い息を吐きながら、また会う約束をして自宅へ帰った。

6/6

最近はもっぱらニーナシモン。私は金がない、父がない、母がない、家がない、靴がない、愛がない・・・・。だけど私には手がある、顔がある、足がある、内臓がある、魂がある、人生がある・・・ってすごくないすか。シビレました。ジョンレノンの「GOD」を思い出すけど、ジョンはこれパクったのかな。でもニーナシモンにはジョンの歌にはない肯定感がある。

ジョンは最後「GOD」で「I just believe in me」と言っているけど、そこには肯定がない。自分に閉じこもってしまっている感じがある。でもそういうところが昔は好きだったのかも。

もしかしたらそこに白人と黒人の違いがあるのかな。にじみ出る肯定と否定。

キリスト教はyou are wrongの宗教だと鶴見俊輔は言ってたけども、ロック(うぇ!)はやっぱり「否定」の音楽なのかしら。

ニーナシモンはyou are not wrongと言ってくれる。僕は I’m not wrong と言いたいだけの子供だ。

この前テレビである学者が、普遍的な事象をいかに時代的な言葉で語るか、と言っていた。ビビッと来た。これはニーナシモンにもジョンにも、いわゆるスターに共通している。僕はスターが好きだ。みんな嫌な奴だからね。

僕は語りすぎだ。僕は語るのがいやで、歌を歌っているのに、歌でも僕は語りすぎている気がする。語らないことを語らないと。語らない言葉を探さないと。

 

5/24

母親と喧嘩をした。「アンタ、イツマデブラブラシテンノヨ」静かに怒っているようなその声は、少しかすれて、ぐっと感情を抑えたように震えていた。たぶんずっと言いたくて我慢していたのだろうな。他愛のない会話をしていた昨日も、実はタイミングを伺っていたのだ。

未来という言葉はいまの僕にとって、ペッとないがしろにすることもできないし、かといってあまり意識して大切にしていたくもない、でもいつかは取り出さなければいけない、鍵付きのショウケースの中に入っている、何年も取り出されていないよくわからない置物みたいな感じで扱っていたから、そこを母親にバリン!と割られて、ホレ、これどうすんのよ!みたいにされて、かなり戸惑い、少し感情的になってしまった。(いい年をして・・・)

今年の母の日は、別に毎年特に何もしていないけど、たまたま母がいつも行っている駅前のスターバックスが改装中だったので、かわりに、駅近くにあって僕が良く行っている個人経営の小さな喫茶店に連れて行ってあげた。だけど母は入口から拒絶反応を起こした。

「私こういうオシャレなところ無理なのよ」「私はおばさんだから、こういうのは若い人たちがいっぱいいるから・・・」「長い時間居れないし・・・」

全部スタバにも当てはまる気がするけど・・・と僕は言いながら、嫌がる母をとりあえず座らせた。しかし母は終始落ち着かずそわそわして、ついにはいつも持ち歩いている薄いピンクの花びらがプリントされてある、マイタンブラーを取り出し、頼んでいたアイスコーヒーをガバッと入れて、それをカバンに入れて足早に帰っていった。

ものの数秒ですっからかんにされたアイスコーヒーのグラスは、ポカーンとして、なんだか間抜けで、僕はちょっと笑ってしまった。

その時僕は、なぜか母親を愛しく思った。僕は空になったグラスをじっと見ながら、湧きあがった自分の感情にちょっと驚いた。そこには抗えないなにかが確かにあって・・・ってまあそんな大した話でもないからもうやめよ。そして美談でも何でもない。ただのマザコン話です。

なんでもかんでもシリアスに考えてしまうのは自分の悪い癖というか、本の毒に侵されたというか。まあ、そうでもしないと歌はかけないというのもあるけど。

ジムモリソンも寺山修二も、父を殺し、マザーをファックしたというのに一方おれは、母に怒られてシュンとしている。駄目ですねこりゃ。

5/3

ゴールデンウィークなので、新宿へ行って、映画「PARKS」を見た。休日に浮足立つ歩行者天国の中、僕も一緒に浮足立って映画館へ。

PARKSは、映画の予告編とかみて、勝手に僕の好きなジョン・カーニーのような音楽映画の日本版だと期待して見に行きましたが、想像と違いました。そこには音楽の氾濫もなく、バンドのカタルシスもなく、なんというか映画の中で音楽の魔法は感じることができなかった。映画の中のドラマも、大学生の青春を描き出すかと思いきやそこにあったのは偽物臭い青春でした。青春を描くなら僕はもっと突き抜けてほしかった。青春に破滅的なところや、刹那やカルト性を求めてしまうのは僕が時代遅れなのかもしれないが、そんな時代遅れの青春がいまだキラキラ輝いているところが僕にとっての吉祥寺でもあって、そんなところが好きな街でもあるので、そこは残念だった。

要するに、PARKSは音楽映画としてはあまりにもリアルすぎて、青春映画としてはあまりにもフィクショナルだった気がします。すくなくとも映画を見終わって、音楽を作りたくなりませんでした。何かを見て、曲を作りたくなるか否かってなんか変な基準だけど、やっぱり感動すると曲を作りたくなるし、なんか最近では、自分の大事な感覚の一つだと思って結構仲良くしています。