河内宙夢 創作メモ

シンガーソングライター

9/12

カメラを止めるな!を出町座まで見に行ったが満席だった。満席で見れないのは2回目で、外は小雨が降り始めてもうこのまま帰ろうかと思ったが、悔しいので知人にオススメされたサニー強い気持ち強い愛を見ることにした。

映画館では何度も涙を流した。そこにあったのは、時代のキラメキであり、強引だけど決意に満ちたハッピーエンドだった。

劇中終盤の池田エライザが演じる子が言った「あの頃のように笑おうよ」という台詞には詩の膨らみを感じた。これは詩の膨らみであり映画の膨らみでもある。

この台詞から歌を作れる気がした。とりあえずなか卯でメモった。

ED気味だった僕も映画館という体験によって少し回復した気がした。

興奮して友達にメールしたけど、本当はあの子に電話がしたかった。


8/15

新しい街に暮らして、大体3カ月くらい経った。

何人か友達もできた。行きつけの喫茶店もできた。

その喫茶店は、入るたびいつもガス漏れの匂いがして、たばこの火をつける度に爆発しないか心配になり、いつも心の中で遺書を書きながらライターの火をつけているが、今のところ大丈夫。

仕事も、一応あって、恋はまだしていない。

京都に来てバスに乗る機会がぐっと増えた。京都に張り巡らされている市バスを乗りこなせるようになった時、住人になったといえるのだろうか。僕はいまだ乗りこなせない。

京都には、街中や電車よりもバスの中のほうが、ハッとするほどキレイな人が乗っていることが多い気がする。

一昨日、お昼頃友達が急に訪ねてきて、一緒に家を出て近くの喫茶店に入った。

茶店に入ってしばらくして、突然スコールが降って、雷も鳴った。

雨は30分くらいで止み、僕らはその雨の隙間を縫うようにして、次の目的地へ向かった。外は雨によって熱を持ったアスファルトが冷やされて、頬に気持ちのいい風が流れた。それがとても気持ち良かった。

その時、僕はこの街に住み慣れてきたかもしれないと思った。

明日は髪を切りに行こうと思っている。

5/6

この一カ月くらい移住準備やライブの為、京都と実家を行き来している。京都に行くことについてなにか確信があるわけではない。正直人がいて、家があって、営みがあって、つまりは街ならばどこだっていい気がしている。今は街とか、そんな時代じゃないかもしれないけど。僕自身つまらない男だから、街とか音楽とかそういうのに頼ってしまう。面白い人ならどこだって面白いだろう。

昨日東京の女の友達と、京都に行く前にと、映画に誘って街をぶらついた時、そこに子犬がぴかぴかの透明なケースに入れられて陳列されている、できたばかりのペットショップがあった。僕はそこに群がる人たちを横目に見ながら、険しい顔で、ペットショップは好きかと友達に聞いた。友達は少し考えた後に、好きだといった。その時の街の風景と重なったその子の横顔を見て、あー東京ってやっぱり面白いかもって思った。

最近は豊田道倫さんに誘っていただいたライブを無事に終えることができて、ふっと一息つくことができている。

憧れの人の前では、だれもが皆少女のようになると誰かが言っていたが、僕も豊田さんを前にして、少女の様に興奮し、舞い上がってしまった。

出番のあと、楽屋で「河内君はラッキーボーイやな。こんないいバックバンド従えて。」と仰ってくれた。僕はライブでへとへとで汗だくで、動揺して赤ワインをボタボタこぼしながら「ありがとうございます」としか言えなかった。

その赤ワインのしみが取れない、2018年5月5日の風に揺れる洗濯物のトートバッグを見ながら、まあいいかと、自分の色々なことを許しながら、生きていける気がしている。

河内宙夢とスペースドリーマーズ

京都にて、本日休演のメンバーとバンドを組みライブを行いCDを作った。

作った歌を嫌がらせの如く、本日休演のギターボーカルである岩出君と僕の共通の友達である、映画監督の小池茅君に送り続けていたら、茅君はそれを岩出君に聞かせていたらしく、それで岩出君が僕の歌を(多分)気に入ってくれて、一緒にバンドでライブをやろうと言ってくれた。僕は、友達とか以前に、個人的に本日休演の歌が好きで東京にきたら大体ライブを見に行っていたので、是非!と言って、高速バスに乗り京都に向かった。

青春エコドリーム号という、まさにバンドをやりに行く僕にふさわしい名前の深夜バスに乗り彼らに会いに行った。バスの中ではルーリードとイギ―ポップと落語を聴いた。

京都大学の部室で、岩出君や樋口君、茅とセッションを行った。僕の音楽は彼らによってパンと弾けて部室を震わせた。気がした。最高やんけとなぜか関西弁で思った。岩出君のプロデュースや樋口君のドラム、小池茅君のレゲエドラムによって、曲に違ったうねりが生まれ自然と方向性はパンクになっていった。僕の歌にあるたくさんの余白に、バチンと極彩色のペンキを投げつけてくれた。

ライブを終えて、もっと音楽をやらなきゃ。音楽のある場所へ行かなきゃと思った。

京都辺りに住もうかと考えている。またこんなバンドやれるのだったら。

帰りは、茅と一緒に角煮丼を食べた。じゃあまたと軽く別れて新幹線で帰った。旅を総括して、歌を作ってやろうと息巻いて窓際に乗ったけど、どっと疲れて眠ってしまいノートには京都、大阪で訪ねた喫茶店の名前が残っただけだった。(大体20軒くらい行った。)

soundcloud.com

 

 

12月6日

伊集院静のエッセイは軽かった。『銀座の花売り娘』

勿論それは悪い意味じゃなくて、その文章は、まとまっていて品があって、ヒップだった。そこには、日本特有の粋というか、媚態があって、諦めがあって、そしてその底には男の意地みたいなものが見えて、かっちょ良くて、何回か涙した。

それに比べると、ブコウスキーの文章はやはり重い。脂っこいともいえる。伊集院静がさらりとした冷酒ならば、ブコウスキーのそれはひどく二日酔いになる安ウイスキーみたいな感じでしょうか。でもそれがキュートで渋い。次のアルバムは『ダンディズム』にしようかな。なんちゃって。

昔、実家の自分の部屋に、飼っていた犬がうんこをしていて(その頃、家のネコも自分の部屋に糞をする習性があった!)当時は部屋の床にほとんど読んでない文庫本が散乱して居たのだけど、運悪く糞は文庫本の上にされていた。あちゃーと思って手に取ったその文庫本は、ブコウスキーの「パルプ」だった。その時僕は、ブコウスキー氏には大変失礼かもしれないけど、とても似合っていると思った。ブコウスキーの本と犬の糞。

これが、「くそったれ!少年時代」だったらもっとおかしかったんだろうけど、でも僕は、何十冊かある文庫本の中で、C・ブコウスキーをトイレに選んだ犬の文学観に感心すると同時に、犬の糞すら文学的にしてしまう、ブコウスキーにさらなる尊敬を抱いた。

日本に、犬の糞すらもかっこよくしてしまう作家はいるだろうか。別にいなくてもいいかもしれないけど、なんとなく物足りなくも思ってしまう。

アルバム完成 「さみしいとお前」

河内宙夢による自主制作盤「さみしいとお前」完成しました。定価500円。11曲収録45分。

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 ここ1、2年くらいにできた曲を、2017年夏から秋にかけて録りました。本当は5曲くらいにしようと思っていたのですが、持ち前のサービス精神により11曲収録のアルバムとなりました。一人で思いたち、一人でノートに構想を書き、一人で部屋の中録音しました。まあ、みんなそうかもしれないけど。

とても静かで、熱い楽しいアルバムになっていると思います。ライナーノートとかも気が向いたら書きたいです。

とにかくこれからいろんなところに持って行ってさばきたいです。

欲しい人は僕に連絡するか、ライブに来てくださいお願いします!

「好きって」 from「さみしいとお前」

https://soundcloud.com/5yz345t7xnrq/nulmtwxwf9aj

音のにおい

ずいぶん前に売ってしまってしばらく聴いてなかったニールヤングを、中古屋で買った。1曲目からその音楽から懐かしい土のにおいがして、良いと思った。ニールヤングの原風景。

僕は音楽からその人の原風景がにじみ出ているミュージシャンが好きだ。

特にニールヤングのにおいは強烈だ。多分それを大切にすればするほどそれがにじみ出てしまうのだろう。しかしそれはあからさまなフォークや郷土愛ではない。プラス持て余している自我。

ミシシッピジョン・ハートの曲には海が見えない、見えるのは一面の綿花畑だ。」とマスターは言っていた。

じゃあ、デヴィット・ボウイは宇宙ですかね。と言ったら笑われた。

俺は何を大切にしているのだろうか。愛か。愛ってなんだ。青春か。いい年して。

帰り道に自分の録った音楽を聴いてみた、ほのかにスペルマの匂いが漂っていた。