河内宙夢 創作メモ

シンガーソングライター

音のにおい

ずいぶん前に売ってしまってしばらく聴いてなかったニールヤングを、中古屋で買った。1曲目からその音楽から懐かしい土のにおいがして、良いと思った。ニールヤングの原風景。

僕は音楽からその人の原風景がにじみ出ているミュージシャンが好きだ。

特にニールヤングのにおいは強烈だ。多分それを大切にすればするほどそれがにじみ出てしまうのだろう。しかしそれはあからさまなフォークや郷土愛ではない。プラス持て余している自我。

ミシシッピジョン・ハートの曲には海が見えない、見えるのは一面の綿花畑だ。」とマスターは言っていた。

じゃあ、デヴィット・ボウイは宇宙ですかね。と言ったら笑われた。

俺は何を大切にしているのだろうか。愛か。愛ってなんだ。青春か。いい年して。

帰り道に自分の録った音楽を聴いてみた、ほのかにスペルマの匂いが漂っていた。

旅行

soundcloud.com

「旅行」

大変ね私たち いつもの街を離れて 電車に飛び乗れば

忘れ物一つ二つ 思い出してもほら

もう すぐにそれを忘れている 君は変だ 君は変だ 今日はいいか 今日はいいか

今日は今日は今日は パジャマが スカートに スカートになっている

今日は今日は今日は 電車に 羽根が羽根が羽根が生えている

ねえ うそでしょう もう夏だなんて 

ねえ これから どこか遠くへ

海が見えるよ 船が浮いてるよ 森が見えるよ 海が見えるよ 二度目

ねえ うそでしょう もう冬だなんて

ねえ これから どこか遠くへ

海が見えるよ 船が浮いてるよ 森が見えるよ 海が見えるよ 二度目

キレイだ キレイだ キレイだ キレイだ

 

 

 

多分なにかをしなきゃいけなくて、だけど何をしたらいいのかよくわからなくて、ここ最近はずっと宅録をしている。去年作った「小さな部屋」というアルバムも同じ動機でしかも同じ季節に1か月くらいで作った気がする。

今回も動機は、成長していないけれど、内容は前回と比べて進歩していると感じている。

今度のアルバムは、もうすこしちゃんと作れるかな。

2週間ほど前、友達不在の友達の家で、なんとなくクラシックの教育テレビを見ていた。そこでは、チャイコフスキーのバラードについて特集していて、チャイコフスキーのバラードをスタジオで日本人の女性が生演奏していた。

夏の昼、クーラーもつけず、パンいちで座りながら見ていた僕はなぜか泣いた。クラシックの素養などまったくないが、その時チャイコフスキーの悲しみと葛藤がピアノの音に変わって、僕の心に流れ込んでくるのを感じた。そのとき僕の人生はまたくにゃっと曲がった気がした。

ああ、音楽ってすごいなあ。今度チャイコフスキーのCD買ってみようと思った。

僕も僕の音楽で誰かの人生を少しだけでも、くにゃっと曲げることができたらいいと思っている。

7月15日

また夏が来た。お昼には盛りのついた日差しが地球を照らして、夕方には放射を終えた太陽の余熱が街を包みなんだかだらしのない雰囲気を帯びさせている。

都会の人はサングラスをして、夏を楽しんでいる。信号待ちの女はレンズにしっかりと夏を閉じ込めていた。僕は僕で派手なシャツを着て、喫茶店に逃げ込むことが楽しみなっている。

新聞を開けば、ヒアリが近くにいるらしいと港近くの街を怖がらせている。

夏と猛毒についてちょっと考える。夏は毒を助長するのだろうか。でも毒が無い世の中はつまらない。というのは勿論比喩で、本物のヒアリはいらない。僕はヒアリになれるか。ていうか本当にヒアリになりたいのか。

夏は自分の生まれた季節だけれど、べつにそんなに好きではない。だけど一番最初に作ったのは夏の歌だった。3年前、夏に彼女に振られて歌を作った。

フランスが好きでパスタが好きでホラー映画が嫌いで夏が嫌いな娘だった。

セックスも嫌いだと言っていたが本当はセックスが好きだった。(と思う)

最近サイモン・フィンのセカンドアルバムを中古屋で奇跡的に発見して、そればっかり身体に流し込んでいる。深いリバーブのかかったギターとヴァイオリンは明らかに夏向きではないけど、決してエモーショナルじゃない曲の数々を聴いていると、もしかしたらこのアルバムが制作されたのは夏だったのではないかとも思う。

あと最近見て面白かったのは、石原吉郎の『望郷の海』と寺田寅彦の随筆集と一色まことのマンガです。

 

7月ライブ

・7月6日(木)

下北沢アーティスト
オカワリコ KUMiKO 河内宙夢 佐々木祐紀

open19:00 / 2,000yen(1ドリンク込み)

・7月21日(金)

高円寺ウーハ
 開場18:30 開演19:00
河内宙夢
じぱんぐ今中
コウチシュウ
浜砂成美
2000円+ドリンク(500円)

7月27日(木)

下北沢アーティスト

河内宙夢 Lusica 徳永優介 矢田祐介

open19:00 / 2,000yen(1ドリンク込み)

6月23日

最近24歳になった。24年前に始まった人生。色々あった様な気もするし、なんにもなかったような気がする。

この人生に意味はあるのか。というありきたりな思いや安いセンチメントがのっそりやって来たので、下北沢の道端に捨てた。それか宇宙にでも放り出して、永遠に漂わせていよう。

誕生日ライブブッキングしてくれた下北沢アーティストさん、来てくれた皆さん。ありがとうございました。肝心の歌は、すこしよれぎみだったけど、すごく気持ちよく歌うことができた。ここから始めたい。と思いました。

最近、大学時代よく遊びに付き合っていた先輩から連絡が来て、一緒に呑んで以来、よく会うようになった。

転職中で暇になったから、多分暇であろうぼくに会おうと思ったらしい。そのY先輩は、仕事が忙しく、ストレスで精神的に問題が生じてしまって、医者に大学時代の青春を思い出すよう勧められたらしい。それでまだ学生気分の奴といったらコウチか。となった。

なので、Y氏の青春を取り戻すため、夜更け過ぎにかつて遊んだ場所に赴き思い出を話しまくった。昔住んでたとことか。なんかそれは今僕がやりたいことに似ているなと思った。

ライブのあと、誰かに会いたくなった自分は、巣鴨に居る先輩に連絡をして、そのままギターを持って先輩の家に泊まった。そんでそのままいっしょにゲームをして、酒飲んで、翌日神保町で二郎食って汗かいて。次の日の昼にはニンニク臭い息を吐きながら、また会う約束をして自宅へ帰った。

6/6

最近はもっぱらニーナシモン。私は金がない、父がない、母がない、家がない、靴がない、愛がない・・・・。だけど私には手がある、顔がある、足がある、内臓がある、魂がある、人生がある・・・ってすごくないすか。シビレました。ジョンレノンの「GOD」を思い出すけど、ジョンはこれパクったのかな。でもニーナシモンにはジョンの歌にはない肯定感がある。

ジョンは最後「GOD」で「I just believe in me」と言っているけど、そこには肯定がない。自分に閉じこもってしまっている感じがある。でもそういうところが昔は好きだったのかも。

もしかしたらそこに白人と黒人の違いがあるのかな。にじみ出る肯定と否定。

キリスト教はyou are wrongの宗教だと鶴見俊輔は言ってたけども、ロック(うぇ!)はやっぱり「否定」の音楽なのかしら。

ニーナシモンはyou are not wrongと言ってくれる。僕は I’m not wrong と言いたいだけの子供だ。

この前テレビである学者が、普遍的な事象をいかに時代的な言葉で語るか、と言っていた。ビビッと来た。これはニーナシモンにもジョンにも、いわゆるスターに共通している。僕はスターが好きだ。みんな嫌な奴だからね。

僕は語りすぎだ。僕は語るのがいやで、歌を歌っているのに、歌でも僕は語りすぎている気がする。語らないことを語らないと。語らない言葉を探さないと。