吉田寮でライブを見る。
その後、ラーメン屋でキムチ食べながら、友達に叱られる。
友達の言ってること当たってた。言い返すことできなかった。
銭湯に行く。病み上がりの銭湯なので、少し早めに上がる。
珍しく缶チューハイを呑む。
家に帰って、洗濯機に入れっぱなしだった洗濯物を干す。
荒木一郎、クルアンビンを聴きながら寝る。
素敵な夢見た気がしたけど忘れてしまった。
素敵だったという記憶、感覚だけがある。
起きたら雨が降っていたが、そんなに嫌じゃなかった。
一昨日は、京都御所南にある京町家でライブをした。
共演は西洋彦さん、オクノ修さん、中川五郎さんとのライブだった。
中でもオクノさんや五郎さんは昔から僕が聴いていた人たちだった。
そういう方たちとライブが出来るのはやっぱり感慨深いものがあった。
自分はこの日の為に、刀を研いでいた。
しかし刀はひらりと交わされた、跳ね返された、受け止められた。
もっとしなやかにならなければと思った。
オクノさんや五郎さんに貰った音楽をお返しするつもりだったけど、それは自分にはまだ早かった。
歌を作り始めた頃を最近、忘れていたなと思った。
あの頃みたいに丁寧に、自分は自分の歌を突き詰めなければ。
今は歌を作りたいというより、今ある自分の歌に負けない身体を作りたい。
最近負けている気がする。
今日は、ライブ会場にオクノさんが忘れた、お客さんから貰っていた花束を六曜社に届けに行ったら、オクノさんからコーヒーとドーナツを奢って貰った。
THE Slitsのドキュメンタリー映画を見た。アリアップは僕らと同じ怒りや悲しみ、喜びを持ってるように思えた。劇中に流れる音楽はやはりどれも新しく、かっこよかった。
スリッツのすごいところは、反抗すべき対称が明確にあったあの時代のパンクの中でも、彼女たちは自分を疑い、パンクを疑いながら音楽を作り続けたところ。とても内省的な人たちなんだろう。大きな怒りやエネルギーの底には、静かに激しい魂があるんだと思った。
最近は、ライブが立て続いている。どのライブもないがしろにしたくないと、ここのところ強く思う。
ライブ前には、なんで俺はライブなんかやらなきゃいけないんだろうって思うけど、ライブをやったあと、結局またどうしてもやりたくなってしまう。その繰り返し。
ライブの時だけ、一生懸命やっても意味がない。毎日を一生懸命生きて、その延長がライブなのではないかと思う。むしろステージを降りてからが始まりなのではと。
隣の八百屋のおじちゃんや毎朝すれ違う子連れママチャリのお母さんはどうしてあんなに美しいのだろう。そういう人たちに負けないためにも、いいライブがしたい。俺はここにいるぞと示したい。
あの悔しかったライブの日を今でも思い出す。
とても悔しくて、震えて、生きていると感じた。
これからのライブ、全部いいライブがしたい。
家の近くのホームセンターで、カッコいい帽子を買った。
図書館で本を沢山読んだ。
今日はもう寝よう。
カメラを止めるな!を出町座まで見に行ったが満席だった。満席で見れないのは2回目で、外は小雨が降り始めてもうこのまま帰ろうかと思ったが、悔しいので知人にオススメされたサニー強い気持ち強い愛を見ることにした。
映画館では何度も涙を流した。そこにあったのは、時代のキラメキであり、強引だけど決意に満ちたハッピーエンドだった。
劇中終盤の池田エライザが演じる子が言った「あの頃のように笑おうよ」という台詞には詩の膨らみを感じた。これは詩の膨らみであり映画の膨らみでもある。
この台詞から歌を作れる気がした。とりあえずなか卯でメモった。
ED気味だった僕も映画館という体験によって少し回復した気がした。
興奮して友達にメールしたけど、本当はあの子に電話がしたかった。
新しい街に暮らして、大体3カ月くらい経った。
何人か友達もできた。行きつけの喫茶店もできた。
その喫茶店は、入るたびいつもガス漏れの匂いがして、たばこの火をつける度に爆発しないか心配になり、いつも心の中で遺書を書きながらライターの火をつけているが、今のところ大丈夫。
仕事も、一応あって、恋はまだしていない。
京都に来てバスに乗る機会がぐっと増えた。京都に張り巡らされている市バスを乗りこなせるようになった時、住人になったといえるのだろうか。僕はいまだ乗りこなせない。
京都には、街中や電車よりもバスの中のほうが、ハッとするほどキレイな人が乗っていることが多い気がする。
一昨日、お昼頃友達が急に訪ねてきて、一緒に家を出て近くの喫茶店に入った。
喫茶店に入ってしばらくして、突然スコールが降って、雷も鳴った。
雨は30分くらいで止み、僕らはその雨の隙間を縫うようにして、次の目的地へ向かった。外は雨によって熱を持ったアスファルトが冷やされて、頬に気持ちのいい風が流れた。それがとても気持ち良かった。
その時、僕はこの街に住み慣れてきたかもしれないと思った。
明日は髪を切りに行こうと思っている。
この一カ月くらい移住準備やライブの為、京都と実家を行き来している。京都に行くことについてなにか確信があるわけではない。正直人がいて、家があって、営みがあって、つまりは街ならばどこだっていい気がしている。今は街とか、そんな時代じゃないかもしれないけど。僕自身つまらない男だから、街とか音楽とかそういうのに頼ってしまう。面白い人ならどこだって面白いだろう。
昨日東京の女の友達と、京都に行く前にと、映画に誘って街をぶらついた時、そこに子犬がぴかぴかの透明なケースに入れられて陳列されている、できたばかりのペットショップがあった。僕はそこに群がる人たちを横目に見ながら、険しい顔で、ペットショップは好きかと友達に聞いた。友達は少し考えた後に、好きだといった。その時の街の風景と重なったその子の横顔を見て、あー東京ってやっぱり面白いかもって思った。
最近は豊田道倫さんに誘っていただいたライブを無事に終えることができて、ふっと一息つくことができている。
憧れの人の前では、だれもが皆少女のようになると誰かが言っていたが、僕も豊田さんを前にして、少女の様に興奮し、舞い上がってしまった。
出番のあと、楽屋で「河内君はラッキーボーイやな。こんないいバックバンド従えて。」と仰ってくれた。僕はライブでへとへとで汗だくで、動揺して赤ワインをボタボタこぼしながら「ありがとうございます」としか言えなかった。
その赤ワインのしみが取れない、2018年5月5日の風に揺れる洗濯物のトートバッグを見ながら、まあいいかと、自分の色々なことを許しながら、生きていける気がしている。